多角化の時代 (昭和47年5月~平成4年10月)

生産量が拡大するにつれて、最適な生産用水が確保できる新たな地として「長野市若里」に工場を建設、最新の合理化設備を導入しました。2期の工事を経て、生産のみでなく排水も適正に処理する必要があったことから広大な敷地内に好気性菌によるMOラグーン方式の排水処理設備を導入しました。また、経営の新たな柱として油あげの生産も開始、その後、家庭用として「レトルト加工方式」の「味付けいなりあげ」、「味付けうどんあげ」を開発して販売を開始しました。これを機に、「みすゞ」はトップブランドへと成長するとともに、大豆加工食品分野での新たな広がりが次々に生まれていきます。(詳細説明はこちら



コーポレートマーク

創業70周年に際して制定された会社マーク
「みすゞ」の頭文字Mをシンボライズし、みどりうるわしい信州から限りないチャレンジを進めて行く姿勢を表現しています

ロゴデザイン

主力商品

新膨軟加工法により、カットした凍り豆腐を簡単に調理出来る用途別商品を販売

主力商品

生油あげの生産を開始。味付け加工した「味付けいなりあげ」、「味付けうどんあげ」を発売

代表者 塚田俊之

生年月日 昭和4年10月31日
代表就任 昭和47年5月10日

  • 本社若里工場を建設 オートメーション化された工場から高品質な商品を提供する体制が確立
  • 昭和49年には、大豆関連食品進出の第一歩として「油あげ」生産を開始し、引き続き味付け加工品を生産する
  • 昭和50年には新膨軟加工法による「ハイみすゞ豆腐」を発売
  • きのこ栽培(えのき茸、ぶなしめじ)、納豆、冷凍そばなどの生産を開始

製造の様子「凍豆腐」

生豆腐の製造

製造の様子「凍豆腐」

乾燥した豆腐の選別整形

製造の様子「味付けいなりあげ」

ロータリ真空包装設備

製造の様子「味付けいなりあげ」

レトルト調味殺菌設備

きのこ栽培

乾燥おから(ビーンフラワー)、ぶなしめじの生産



技術革新と若里工場の建設

凍り豆腐の製造が拡大するにつれ、居町工場は手狭になり、昭和33年に若里工場の建設に向けて着工を開始した。昭和30年代、世はまさに技術革新と近代化へと突入、日本経済は、明らかに新しい発展段階に入ったといっても良かった。凍り豆腐業界においても、この頃には、長野県の凍り豆腐がその生産高、製造技術は勿論、経営の総合力についても他府県業者を圧倒的に引き離してしまっていたが、日本経済の新しい展開を支える技術革新、オートメーション化の強大な波が、まさに凍豆腐業界にも及ぼうとしていた。

こうした傾向を踏まえ、当社は設備面で合理化路線を打ち出し、若里新工場において、その実現を意図したのである。連続式の凍結装置、シャワーによる解凍、ローラー脱水装置・湿度調整が可能な乾燥装置など最先端の技術を使用して自動化、省力化を推進した。

消費の拡大と公害対策

更に、凍り豆腐の潜在的需要の掘り起こしのために、昭和40年から業界に先駆けて様々な料理法を刷り込んだパッケージを制作。従来「凍り豆腐の料理はむずかしい」「手間がかかりすぎて、調理が面倒だ」との消費者の声があったが、それをいち早く取り入れ解消したのがこのアイデアであった。一方、多角化路線の先駆けとして昭和40年、居町工場の遊休設備、冷蔵庫を利用したえのき茸の通年栽培を開始した。このような冷蔵庫を使用した人工低温栽培方式を考案したのは当社が初めてであり、以後この方式を採用、追随する生産者が増えていった。当時は企業公害が社会問題化される時代であったので、凍豆腐業界においてもMOラグーン方式の公害処理テストプラントの建設に着手。約1年にわたる試験を繰り返し、昭和48年、この排水処理装置を完成させた。

新規事業「油あげ」と凍豆腐新膨軟加工法の開発

同年、当社は創業70周年を迎えるに際して、今後10年のテーマは「大豆関連食品新規事業への進出」とした。そこで、企業指針に則り新商品の研究開発を着々と推進させていったが、そのポイントを占めるのは、「凍り豆腐と共通の原料が使用でき、なおかつ、凍豆腐製造技術の関連で行え、当社の遊休施設と販路を活用できるもの」ということであった。こうして考えられたのが「油あげ」である。そして、油あげが大量生産できる商品であったことも決定理由のひとつであった。昭和49年8月には、油あげ設備の一期工事を完了し、一気に量産体制に入った。一方、凍り豆腐ではアンモニア膨軟加工法に替わる新膨軟加工法が開発され、昭和50年、「ハイみすゞ豆腐」を全国に発売。利便性とおいしさが好評で市場拡大の大きなきっかけとなった。

おから乾燥技術の確立

これと同時に、昭和51年より凍豆腐組合の構造改革事業の一貫として開始されたものに「おから乾燥の技術開発」がある。おからは、従来、家畜等のエサ用にしか利用されていなかったが、凍り豆腐製造の副産物であるおからを更に有効利用する目的で、当社が業界内で5年間の当番工場としてその責務を受け持った。その結果、技術的にも、製品的にも、初期の目的を遂げる上々の成果を収め、ネーミングを「ビーンフラワー」として、業務用商品の販売を実現した。また、自社製の「ビーンフラワー」を菌床に添加する方式による「ぶなしめじ」の生産工場を立ち上げ、従来からの生産方式と生産量の比較・検証を行い、現在では「ビーンフラワー」は、きのこ栽培時の菌床への栄養、保水用添加材として欠かせない存在になっている。

新商品 家庭用「味付けいなりあげ」と「味付けうどんあげ」

その後、油あげの生産、販売が軌道にのったため、今度は製品に二次加工をほどこし、付加価値を高めた商品の開発をスタートする目的で、レトルト殺菌設備の導入を図った。その結果、生産スタッフの研究開発の成果が実り、昭和55年に「みすゞ味付けいなり用あげ」、「みすゞ味付けうどん用あげ」の二つの新商品を誕生させ好評を博した。


参考文献 みすゞ豆腐八十年の歩み